Tomohiko Sugino

Compose

 いうまでもありませんが、《聴常現象》は、僕の聴こえの曲です。3歳から患う、感音性難聴をテーマにしています。病院で受けた精密な聴力検査をもとに、その数値から電子音楽、とりわけMax/Mspを主に使用した作品を創作しています。つまり、データをもとに作られた作品ということになります。
 しかし、それらのデータのみで僕自身の聴覚は再現できるとは思えません。「聴こえ」は、外耳から中耳、内耳を通して脳に伝わり、脳がその情報を解釈しています。すなわち、その場で聴こえる音の情報のみならず、過去に聴いた音の記憶等も、脳は参照しているはずなのです。《1/2の聴常現象》は、その疑問から生み出された作品です。半分は聴力検査のデータをもとに、もう半分は僕の実際の聴こえを作品の素材として使用しています。すなわち、タイトルの1/2とは、作品の素材のことを指しているわけです。そう考えると、《聴常現象》は科学的であり、《1/2の聴常現象》は空想的であると言えるかもしれません。

 下のグラフ(黒線)は、僕の聴こえを表すオージオグラムである。縦軸のデジベル(db)は音の大きさを、横軸は音の周波数、つまり音の高さを表している。
 人の聴こえは、周波数帯域ごとにどのような大きさで聴こえるかという結果によって測定できる。グラフの赤線が示す、健常者(20代)の聴こえと、黒線が示す僕の聴こえには明らかな差がある。
 本作は、前半のフィルター形成部と後半のフィルター変調部からなる、2部形式の曲である。前半のフィルター形成部では、マリンバの演奏を素材に、僕自身が舞台上で聴力検査を行い、僕の聴こえによる、音の周波数をコンピューターに入力することで、僕自身の聴こえをシュミレーションするフィルター、“杉野フィルター”を形成する。後半の変調部では、マリンバの演奏と同時に、前半で形成されたフィルターを通して変調した音が1小節遅れて流れる。

 

 本作では、僕の聴こえをMax/Mspにより再現したフィルターを使用する。曲中でフィルターによって音を変調し、実際のオーボエの音へ、次第に近くなっていくことを目指している。
 冒頭から使用されるフィルターで変調した音響からは、下のグラフ緑線部分が聴こえる。それが、僕の聴こえである。そして、スピーカーから流れる音は、1音ずつ僕の聴こえと健常者の音の差分、グラフ赤部分を埋めていく。つまり、次第に杉野フィルターが解除されていくのだ。僕の聴こえから、それぞれ自身の聴こえへと回帰していくのである。

 人間は左右の耳が別々に機能しており、色々な音情報を補い合っている。音の刺激が、両方の耳に与えられるような聴取状態を両耳聴という。両耳聴は、音の定位(音が鳴っている位置を定める能力)、両耳加算効果(片耳で聞くよりも両耳で聞く方が3dB程度音が大きく感じられる現象)、平衡機能等に繋がる。
 難聴である僕は、両耳聴による効果も低下している。例えば、街中で突然あらぬ方向から話しかけられかけた時、話者の位置が特定できず、話者と反対の方向を向いてしまうことがしばしばある。音の定位が曖昧なのだ。
 本曲では、このような現象を再現するために4つのスピーカーを用いて、様々な方向から音を出す。スピーカーにより移り変わる音の定位と、実際のクラリネットの定位の変化に着目ください。

私は難聴だ。普段は補聴器をつけている。
難聴というものは音の強さや可聴域が悪化しているのみだととらわれがちであるが、問題は単純ではない。私の場合音の強さ、可聴域はおおよそ半分の狭さになり、エアコンの機械音などの小さな音は聞こえなくなる。音の方向性は曖昧になり、シラブルの組み合わせにより聞こえ難い音が存在する。またそれらが互いに影響し合い、音に歪みやくぐもりを与える。私の聴こえる音はいわばエフェクターで変調された音なのだ。

本作では補聴器の着脱の際に生じる音の切り替わりを曲にしている。聴覚の違いから窺えられる「音の多様性」について考えるきっかけ作りになれば幸いである。

難聴というものは音の強さや可聴域が悪化しているのみだととらわれがちであるが、問題は単純ではない。私の場合さらに音に歪みやくぐもりがある。 メガネで視力が矯正されるように、補聴器によってそれらの問題は多少改善される。
このように補聴器の着脱により1つの音に対し、2つの聴こえが私には存在するのだ。

連作「1/2の聴常現象」では聴こえの差異に焦点を置いている。


今作では音の反響をテーマに電子音響と器楽合奏を用いて作曲した。
曲中では、①録音された環境音。②それ私の聴覚を模したフィルターを通した音。③それらを組み合わせた音の3種類の電子音響が使われている。
器楽合奏は、電子音響を受けて次第に変化していく。

 今回共作した、春木君の作品には「解きの技法」が用いられている。「解きの技法」とは、春木君が考案した“繊維を水の力で解きほぐすことで、自由自在な形状を手にいれることが可能となる技法”である。これにより1枚の紙に、自由自在な形状を与えることができるのだ。
 僕はその作品を見て、図形譜を立体にすることを思いついた。図形譜は音符や音楽記号、楽語などを含まず、図形や記号、文字によって「音」が表現されている。それらを立体的にすることにより、図形譜の新たな表現にたどり着けるのでは、と考えた。
 演奏家には当日、初めてその楽譜に対面していただく。演奏家に、どのようなインスピレーションが与えられるのか、僕自身も楽しみである。

 
 
 
 

 藤井清水(1889-1944)は、民謡の楽譜化に尽力した作曲家である。同タイトルである藤井清水の作品も、民謡を土台にした民族色の濃い作品となっている。
  拙作は、住原君が主催した「藤井清水作品演奏会」のために作曲された曲である。住原君より提示された「もし藤井清水が、現代に生きていたらどんな作品を書くか。」をテーマに、リコンポーズ(再作曲)した。民族的なリズム、特徴的な旋法、ジャズのスキャット唱法など、海外をルーツとする要素を取り込んだ。

(西前)「これぞ『私!!』って曲、たくさん書いて欲しいねん!!!!!」
 この一声からこのプロジェクトは始まった。 とはいうものの、なーこさん(西前菜々子)との付き合いは短く、曲を構成する材料も少なかった。そのため、彼女と付き合いのある方へ先立ってアンケートを取った。その結果、口癖や会話のテンポ感など、様々な要素が見つかった。
 本作は、「Nakプロジェクト」第1弾として、「西前菜々子、個人」をテーマに作曲した。アンケート結果のみならず、彼女の性格、好きな音、好きなものを詰め込んだ曲になっている。次に続く作品は、本作を雛形に「西前菜々子と他者との関わり」をテーマに展開していく予定である。

 for Toy Pf & miniature Vln.
僕は、ヴァイオリンを5歳から21歳まで習った。トイピアノは、学部3〜4年次に月に1度、ピッコロとデュオで演奏会を開催していた。それ故、それらの楽器には深い思い入れがある。今回は、それらの楽器のために、“小さな”序曲とソナタを作編曲した。
  1曲目の序曲は、ミニマル・ミュージックで描かれている。2018年に作曲した、オーケストラ曲を今回のために編曲した。2曲目のソナチネでは、ソナタ形式に必要とされる要素を極限まで絞って作曲した。

 この作品は、学部1年次に作曲した、初の現代音楽作品である。飯野りさ著『アラブ古典音楽の旋法体系』からインスピレーションを受け作曲した。曲中には、微分音を含む古典アラブ旋法を用い、細かいペダル指定や演奏のタイミングにより、それらの旋法をコントロールした。また、3部形式(A-B-A)である本曲のBパートには、月に関するいくつかの曲が引用されている。